引きこもりが主人公でもおかしくない!

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引きこもりが主人公の映画として注目を集め ...
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日本では引きこもりの原因として、個人の自 ...
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さて、今回映画のテーマの一つである、引き ...

ひきこもり、聞くだけでマイナスのイメージを持つ人がほとんどだと思う。日本のみならず世界的に見ても社会問題としているこの実情をどれだけの人が把握しているのでしょうか。

一概に、ひきこもりをしていることは悪いことだと言ってしまえばそれまでだが、皆が皆籠もっているわけではない。現在の日本において、ひきこもりとして数えられている人は、実に300万人を超えていると言われている。

統計的に見ても男性が多く、とある集計では20代男性においては約20人に1人がひきこもりを経験していることも分かっている。

ではこうしたひきこもりが起きる原因として、日本の特徴としては諸説あるが、自己評価の低さにあるという見方がある。この自己評価には二種類あり【愛情に関する自己評価】と【能力に関する自己評価】の二つに分かれる。

愛情に関する自己評価は『理解・共感・受容』で育ち、愛情に関する自己評価が低いと思った子供は『親に愛されない自分が親以外の人間から愛されるわけがない』という考えに行き着いてしまい、対人恐怖症となってしまう。そうなるとちょっとした失敗や叱責でも相手から見捨てられるのではないか、という不安を抱くようになってしまうという。

後者の能力に関する自己評価は『承認』と『成功体験』によって育つものとなっている。『承認』とは褒めることや感謝することを指している。能力に関する自己評価が低いと、家族以外の人間から『あなたは必要な人物です』という承認を受けることができないという。しかし極端すぎる、つまりは過保護・過干渉といった子供に必要以上に関わることでも子供の成長を駄目にしてしまうことにもなってしまう。過干渉で育てられた子供は『自分には能がないから親は自主性を認めてくれないんだ』と感じてしまうという。

これを見ると筆者は、中世ヨーロッパで活躍した音楽家の『J.S.バッハ』の長男である『W.F.バッハ』のことを一番に思い出す。

彼は父親の才能を余すことなく受け継ぎ、下にいた兄弟たちよりも優れた才能を持っていた彼だが、そんな彼は確かに世間的にすばらしい才能を持っていたにも関わらず、歴史にその名を残すことになるのだが、それが返って父親の名を汚すことになってしまう。

そんなW.F.バッハは幼少時に父親から特に深い愛情をかけられて育ったこともあり、かなりの奇人として見られていたともいわれている。せっかくの才能を生かすことができず、彼の最期は路上での孤独死というあまりにも悲しい結末で、人生の幕を下ろしてしまう。

子供を愛することは大事なことだが、その愛が過度なものになればなるほど、子供の人生に悪影響を及ぼすことにもなる。何事にも程よく緩急つけなければいけないということだが、この問題に関しては断定的な答えを出すことは難しいだろう。

お兄ちゃんのハナビ
さて、ひきこもりの原因としてあげた愛情に関する自己評価、としてひとつ礼を上げたが、日本の映画の中で実際に合った実話を基にしたひきこもりと家族間の愛をテーマにした映画があることをご存知でしょうか。

『お兄ちゃんのハナビ』という、新潟県小千谷市片貝町を舞台にした、実際にあった話を基にした映画だ。これは2004年に発生した新潟中越地震において被災した家族の物語で、テレビで紹介されたことにより映画化することが決まった作品となっている。

公開当初は、初日満足度として2010年9月25日調べで、上映公開11作品中第1位と、高い評価を受けた。

ではそんな映画のストーリーを紹介していこう。

あらすじ
白血病を患っている華の療養の為に、5年間から須藤一家は東京から新潟県小千谷市片貝町へと引っ越すことになる。9月9日、毎年世界一の花火を打ち上げられる『片貝まつりの日』というお祭りの日の当日、半年の入院生活を無事に終えて退院した華は、19歳の兄・太郎が自室に引きこもっていることを知った。祭りに出かけた華はその時、来年は自分達の花火を盛り上げようとする気勢を上げる成人会を目撃した華は、兄を成人会に入れることを決意する。

少しばかり強引なところがありながらも、何とか家から連れ出すことに成功した華と、無理やり引っ張られて連れて行かれる兄の太郎は、成人会の集会場に着く。しかし地元育ちでない太郎に対して成人会の面々は入会を断り、

本人も当然の結果としながら、自分を責める。ところが華は決して諦めようとはしないで兄が成人会に入れるように励まし続ける。今まで自分のことを誰も必要としてくれないと感じていた太郎は、華の健気な後押しに押される形で、自分のため、そして妹のためにと新聞配達を始める。少しずつではあるがひきこもりが直りはじめていく太郎に、華はずっと兄の背中を見ていた。

太郎のひきこもりの改善と、華の病気の治療もあいまって、それまでどこかぎこちなかった家族の絆が徐々に取り戻し始めていた。そんな家族に幸せの日々は続くことはなかった。

とある冬の日、華の白血病が再発してしまい、また入院生活に逆戻りしてしまうのだ。しかも容態は前回までの入院とは明らかに悪化しており、太郎を含めて家族は途方に暮れるしかなかった。そんな中で華は太郎に、またいつか家族4人で花火を見たいという想いを告げる、自分を支えてくれた太郎はそんな妹の願いを叶えるためにそれまで以上にアルバイトに励むようになり、紆余曲折ありながらも何とか成人会の入会を認められるようになる。これからだった、ようやく自分のため、そして自分を救ってくれた妹への恩返しができると思った矢先、遂にその時が来てしまう。

華の容態がさらに悪化しているとの病院からの連絡を受けて、太郎と母・登茂子、父・那昌は急ぎ病院へと向かうが、いつか家族でまた花火を見たい、そんな華と家族の願いが届くことはなく、少女はわずか十数年の生涯に幕を閉じてしまう。

どうしてこんなことになってしまったのか、華の死を受け止められずにいた太郎はある決心をする。このままでは終われない、妹の最期の願いを叶えるために、太郎は成人会を止めて、一人で花火を上げるために日夜働き始める。アルバイトを増やし、煙火工場の工場長に頼み込んで花火作りを始めるなど、そこにはつい半年前まで引きこもりをしていた太郎ではなかった。

そして迎えた翌年の9月9日、様々な思いのこめられた花火がメッセージの読み上げとともに打ちあがっていく、そしてメインイベントである成人会の花火で祭りは最高潮となる。その中には太郎の打ち上げ花火も打ちあがり、様々な思いがあったこの一年は、太郎がこれまで生きてきた人生で一番濃く、そして忘れることのできないものとなっていた。

順々に打ちあがり消えていく花火、最後の火の粉が消えるまで、両親と寄り添いながら太郎はじっとそれを見つめていた。かつて妹と交わした約束を思い出しながら、太郎はそっと涙するのだった。

映画について
2005年のドキュメンタリー番組で紹介されたことによって映画化も決まった今作だが、実話を基にしているだけにその映画の完成度に関しては見た人のほとんどが高評価を出している。

何より、兄である太郎の成長振りが一番の見物だ。今まで誰も自分の事を見てくれなかったのに、妹の華はそんな兄をひたすらに励まし、味方でい続けたことで太郎はようやく自分に自身を持つようになる。妹の華のたち位置はずっと変わらないのだ、彼女はその最後の瞬間まで兄のたった一人の理解者としての立場に立っていたのだ。

自分を見てくれている、こんな自分でも愛してくれる人がいる、華の存在に太郎がどれだけ励まされ、そして一歩ずつゆっくりと歩き続けていた姿はすごく情景的だ。

人間にとって誰か一人でも自分の味方でいてくれていると心のよりどころがあるだけで、どんなことがあっても立ち向かっていける。太郎も始めの頃こそ、妹の強引さにどこか疎ましく思うような表現があるが、それがどこかで変化することなく、常に一定の立ち位置でいたからこそ太郎は働きに出ることもできたのではないだろうか。

やがて太郎にとって華は大切な家族としてかけがえのない存在としてなっていく。そんな妹に何一つ返すことができないまま、死別してしまう。

華のいない空虚な生活を迎えていた一家の中、太郎はひきこもりの戻るのかと思ったが、彼はそこで昔の自分に逆戻りするのではなく、これまで以上に前に進んでいくのだった。

妹と交わした最後の約束、それを果たすために太郎は花火を作ると両親に話した。太郎の決意の固さに父と母二人は太郎を止めることなく、見守ることにした。

ここからが特にすごい、太郎の劇的な人間的な成長を遂げる姿は前半のひきこもりをしていたとは思えないような行動力に圧倒されるだろう。アルバイトを増やして働き、花火を自分の手で作るために工場に出向いて作り方を指南してもらう姿は実にいい表現をしていると思える。

そして物語りはクライマックスへと向かっていき、太郎は自分が作った花火が打ちあがる姿を、妹が見えるように遺影をかざしているシーン、ここが実際に見た人たちが上げる一番良かったと述べている。花火が上がり、火の花だ咲く瞬間が遺影のガラスの反射されているのだ。それは天国にいる妹が流した涙のように見えた、とも述べている人もいる。この映画の評価のポイントとしてはそんな些細なシーンも余すことなく流しているところにあるのだろう。

この映画の肝となっているのが実話ということだ。実際に起こった話を、どこか脚色している部分はあるかもしれないが、現実味があるシーンがほとんどのため観客としては共感を得られやすいのもポイントだ。

キャストについてもやはりいい人選だったと思う。主人公太郎を演じている『高良健吾』さんも、一時期新しい環境になじむことができずにひきこもりになったことがあると明かしている。メディア作品で役を演じるということはやはりなりきるということがポイントだろう。それも当然経験しているかのようなリアルな体験がなければ説得力のある表現は中々できないものだ、ひきこもりというテーマに関しても経験したことのない人から演じればどこか過度な表現をしがちになってしまう。演じる上ではアドバンテージとなるものを持っていた高良さんにとって、ひきこもりから再生していく一人の人間の群像を表現できている、と筆者は思う。

そして妹を演じている『谷村美月』さんも役に対して余念がない。白血病を抑えるための抗生物質は髪が徐々に抜けてしまうという副作用があるので、谷村さんは実際に役になりきるために髪をスキンヘッドにしてしまうのだ。当時まだ10代でありながら、髪を全て切ってしまうというのはかなりの勇気がいることだろう、それを彼女は映画のためにばっさりと切り落としてしまう。劇中では、退院した華が登校前にはカツラを被っていく姿を見て、年頃の少女としての姿が印象的だ。

兄弟の両親にも父役を演じる大杉蓮さん、母役に宮崎美子さんなど脇を固める名優たちが二人の兄弟愛を上手に引き立てている。それがいやらしいという要素がどこにもなく、実に自然に、リアリティ溢れるシーンの連続は見るものの涙腺を震わせる。

最近思い切り泣いていないという人、家族としての純粋で透き通った愛を感じて泣いてみませんか?

キャスト
須藤太郎:高良健吾
須藤華:谷村美月
須藤登茂子:宮崎美子
須藤邦昌:大杉漣
岡崎佳代:早織
小林アツシ:尾上寛之
手島カスミ:岡本玲
早瀬ヒロ:剛力彩芽
藤沢道子:能世あんな
松田美奈:重廣礼香
野本千鶴:森康子
有馬幸生(担任):佐藤隆太
中原幸子(看護師):朝加真由美
関山高志(担当医):佐々木蔵之介
久保工場長:塩見三省
スタッフ
監督:国本雅広
脚本:西田征史
特別協力:朝日新聞社
製作会社:ミコット・エンド・バサラ、ケイファクトリー、バンダイビジュアル、ポニーキャニオン、アプレ、ホリエージェンシー、ビーグル
制作プロダクション:エネット
主題歌
藤井フミヤ 『今、君に言っておこう』 作詞・作曲:藤井フミヤ